
こんにちは、ユキガオ(@yukigao_22)です。
無意識のうちに「こうしたら、あの人はこれをやってくれるんじゃないかな」って思うこと、ありませんか?
たとえば「これを手伝ったらお礼を言ってもらえるんじゃないか」とか、「これをプレゼントしたら喜んでくれるんじゃないだろうか」とか。
そんなの当たり前でしょ!
でも、その人はお礼を言わないかもしれないし喜ばない可能性だってあるよ。
それは、相手のことを真剣に考えてないからじゃないの?
それもあるかもね。だけど自分なりに「絶対喜んでもらえる」って思ってたことなのに期待通りの反応がなかったら落ち込まない?
うん、めっちゃ落ち込むな。なんで??って思うし、悔しくもなる
本来は相手のことを想っての行動のはずなのに、相手が思うようにならなかったから悔しいなんて、おかしな話だよね
見返りを求める=相手を操ること
見返りを求めない無償の愛を万人に与えられるような仏様がこの世に何人いるんだろう?
少なくとも私の心は仏様から程遠くて、無意識に見返りを求めてしまいます。
一つ一つは大きな見返りじゃなくて「ありがとう」と言って欲しいとか喜んで欲しいとか、そういうもの。
期待通りの見返りがなければ、やっぱり少しガッカリする。相手に対して勝手に幻滅したり「期待した私がバカだった」なんて思っちゃうんです。
これって、自分の行動によって相手の言動や感情を操りたいという思いの現れなんですよね。
他人に期待するのは傲慢でしかない
「人は私のために生きてなんかない」という当たり前のことを忘れてしまうから、思い通りにならなかったときに気分が悪くなるんですよね。
相手には相手の都合や気持ちがある。
それを自分の思いのままにしようとするのは傲慢だなって思うんです。自分の行動が本当に相手のためになっていると考えること自体が驕り(おごり)。
過去に「自分の行動で相手の言動が思い通りになった」という成功体験があるから、次もまたそうなるだろうとついつい期待してしまう。
仕事で考えたら、成功体験だけを頼りに次の成功を期待したけど失敗した。そういうことじゃないかな。
人間関係も同じで、みんながみんな、成功体験通りになるわけじゃない。それだけのこと。
なのに、期待通りにならなかったら相手を恨んでしまうなんて、変だと思いませんか?
自分が納得できること以外はしない!
「他人は変えられないけど、自分は変えられる」ってよく聞きます。理屈では分かっていること。
なのに他人には期待してしまうんですよね。それも他人を変えようとしてる行為だ、って気付かずに。
けっこう無意識に繰り返すことだから、いきなり直すのは難しい…
でも、普段から「自分が納得できることだけする」ように心掛けたらいいんだなと気付きました。
相手の反応を考えて起こす行動には、自分の気持ち以外に「相手の反応予測」みたいなものが要素として入ってくる。
自分の気持ち50%&相手の反応予測50%で取った行動は、上手くいかなかったときに50%損した気分になるんですよね。
自分の気持ち100%でやればいい
たとえば誰かにプレゼントを買うとします。
そのとき、「相手が嬉しいと思うか考えない」んじゃなくて、プレゼントを買うっていう行動自体に、自分が100%納得することが大事だと思うんです。
もし何%か納得できない部分があるなら、プレゼントを買うこと自体やめる。
もし100%納得できたら、プレゼントを買う。
そうすれば、買うと決めた時点で自分の気持ちは完結する。だから相手がプレゼントで喜ぼうが喜ぶまいが気にならなくなるんですよね。
全ての行動でこれを守るのはなかなか難しいけど、心掛けていれば無意識に誰かを恨むこともなくなるんじゃないかなーと。
エゴイズムに思えるかもしれないけど、これができないと他人を恨んでばっかで生きづらくなります。自分の思考で自分の首を絞めるなんてバカらしいですよね。
自分の心がけで変えられることなら、今日からでもすぐに変えちゃった方がいい。私も気を付けて生きていこうと思います!
※私自身、最近そういうことがあったので自戒を込めて…
ユキガオ
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